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起業準備

〜 言語の話 〜



まず先日の大失敗の続き。

月曜日、出社するとすぐに営業部長に呼び出された。
この失敗は営業部長ですら対処できる権限を超えているらしい。
だからオレの報告書を元に、今度は営業部長が報告書を書かねばならない。
誰に対して書くのか?
営業部長の上と言えばそれは社長だ。
オレの失敗は社長にまで話を通さねばならないものだったのだ。
そこで営業部長がオレの報告書を読みながら言う。

部長:「このまま書いたらお前の責任になってしまうぞ。」

(お前の責任だろ)
というニュアンスを若干感じた。
本当にそう言いたかったのかどうかは知らないが。
しかしオレにとっては、はっきりした責任問題に言及されたほうが楽だった。
誰もが責任回避の発言をしながら責任の所在を明確にしない。
そんな嫌な雰囲気にオレは苦しめられてきたのだから。

オレ:「そのまま書いていただいて結構です。」

オレ:「確かに自分の勇み足を自覚してますので。」

やった。
やっとこれが言えた。
この一言でオレは一気に楽になったのだ。
後はもうどうなってもいいや。
社長がどう思おうが、仮にクビになろうが。

実は後日、問題となったお客さんの所を訪問した。
もちろん謝るためにだ。
しかし意外なことに、事態は思いがけなく好転していた。
どうやら誰かが責任を取るような必要は無くなってきたかもしれない。
こうなると、だ。
オレのあの腹のくくり方は、また誰かの評価を得てしまうかもしれない。
本来、部長がああいうことをすれば部下から尊敬されてカッコいいのに。
外資系はあくまでも個の意識が強い。
人の失敗をかぶったところで自分が損をするだけ、という感じなのだろう。
なんとなく、オレに最適な居場所ではないな。
やっぱりプログラム組みたい。

ということで後半は元プログラマらしくプログラム言語の話でもしよう。
詳しくない人には少し退屈な話かも。

今、オレはRubyの勉強をしている。
なぜか?
色んな理由がある。
ポール・グレアムの影響がかなり強いが、それだけではない。
そもそもオレはプログラマにとっての言語に対してあるイメージを抱いていた。
それは人種、とか宗教というような人間の根幹をなすものだ。
みな、自分の知っている言語を最高のものだと思いたがる。
一から別の言語を勉強するのは、その偏見を乗り越えなければできない。

特にその傾向が強いのが次の移行だ。
C++からJava, C#へ。
JavaからPHP, Perl, Rubyなどのスクリプト言語へ。
なぜこの移行が難しいのかというと多くのC++プログラマはJavaを馬鹿にしている。
多くのJavaプログラマはスクリプト言語を馬鹿にしている。
つまり、自分の言語の方が優秀だと思っているから移行するのに壁があるのだ。
C言語系の人たちはとにかく処理速度において自分達が最高だと思っている。
それはほぼ事実だが、生産性において難点があるのも事実だ。
JavaやC#はとてもきれいに設計された言語だ。
しかし、そのためにスクリプト言語が持つ自由さがない。

Javaの思想は分かりやすい。
ガチガチに固められた言語設計でルールに即しないプログラムは作らせない。
つまりバカなプログラマに変なことをさせないための言語であるともいえる。
その点、今勉強しているRubyはゆるい。
ルールをあまり意識しなくてもなんとか作れる。
今までJavaプログラマとしてやってきたオレにはそこが非常に気持ち悪いのだ。
そう、Javaプログラマは非常に優等生なのだ。
例えば自分がとても不愉快であることを人に伝えるとしよう。
Javaプログラマはこう言うだろう。

「私は非常に気分を害しております。」

これがそのままテレビで報道されたって違和感はない。
同じことを言うのにRubyプログラマはこう言う。

「超うぜー」

もちろんこういう言葉がふさわしくない場面では丁寧にいうこともできる。
しかし、急いでいるときには4文字で済ませてしまえるのだ。

最近ここの更新にRubyスクリプトを作成するなどして改めて感じた。
オレがプログラムを組んでいて一番楽しいとき。
それはやはり仕事で与えられたプログラムを作っているときではない。
自分が欲しいもの、自分が作ってあげたいものを作っているときなのだ。
そして、その目的を最も早く実現できるツールとして。
今、Rubyを検討中ということなのだ。

続く...


今日の一言

とりあえず楽しい

進退、窮まれり
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