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起業準備

〜 生きていた証拠 〜



大切な知人を、またもやガンで失った。
3年近く前のこと、まだプログラマになりたてのオレと彼は出会った。
2年前までは一緒にフットサルをして走り回っていたもんだ。
それからしばらくして彼は体調を崩して入院。
入退院を繰り返すうちにガンであることが発覚した。

彼が肝臓を患って入院した頃から小さな悪い予感はあった。
その悪い予感があれよあれよという間に最悪の形で実現していったのだ。
その経過などをオレがあれこれと書く権利などないと思うのでこれ以上は書かない。
あくまで、彼の死を受けてオレが感じたことを書く。

彼の死は、同じくガンで死んだ母のことを思い出させたが、少しだけ違う。
オレより2つか3つ年下の彼が死んだのだ。
親のような大切な人の死、というよりも自分の死を意識せざるを得ない。

2年前、一緒にグラウンドを走っていた。
一緒に飲みに行ってつまらない話を延々と繰り返してた。
オレと彼との間にどんな差があったというのか。
恐らくは何もなかった。
ただ、彼は運が悪かったのだという他はない。
あの頃、入院してガンが発覚するのがオレだったとしても何も不思議はないのだ。

例えばオレは今度初めて半日人間ドッグに入るが、そこでガンが見つかるかもしれない。
もしくは今でなくとも近い将来そんな日が来るかもしれない。
オレは無条件に自分が少なくとも60年近くは生きれるのだろうと思っていた。
それをもとに自分の将来の夢や目標などを描いているのだ。
が、そんなものは何の保障もないのだということを思い知らされた。
いきなりその人生設計の数十年分をナイフでスッパリと切り取られる日が来るかもしれないのだ。

そうであれば。
自分がやりたいことは、今やっておかなければいけない。
という思いもする。が、しかし。
そんなこと自体が何の意味もないのかもしれない。
とも思う。

日々をごく自然に、ただ自然に過ごす。
それだけで十分なのではないか。
その考え自体は非常に尊敬できる。
ただ、オレという個人に関していうなら現時点では別の考えを持っている。

人は何のために生まれてくるのか?
この問いに対するオレなりの答えはこうだ。

偶然生まれてきた。

そこに意味などない。
両親の下に生まれた子供がオレでなくとも、両親はその子を愛しただろう。
オレでなくとも誰も困らなかった。
もっと言えば人間などいなくても誰も困らない。
放置した食べ物にカビが生えるように。
人間は自然発生的に生まれて増えた。
そして生まれた瞬間から、死へ続く道を一歩ずつ歩んでいる。
オレは思う。
だから意味付けをしたいんだ、と。
生まれてしまった以上、オレが生きていたという証拠をできる限り残したい。
オレの人生はそのために費やしたい。


え、と。
なんか色んなことを考えるままに書き綴ってるから話の筋がまとまらない。
こんなことを書いている背景にはある事実が有る。
先日死んでしまった友人は、自分の死期を知らなかった可能性が高いのだ。
彼は最後に会ったその日も、自分が回復した後の生活を楽しみにしていた。
そしてそれが彼を生き長らえさせる活力にもなったいた。
オレや周りの人間が聞いていた余命よりも長く、彼は生きたのだ。
彼にとって自分の残りの寿命を知らせることはマイナスに働いたに違いない。

だが、オレの場合はどうだ?
オレは絶対に嫌だ。
自分がいつ死ぬのか、わかっているのなら絶対に教えて欲しい。
それが例え1ヶ月でも1週間でも。
その期間で残すことのできる「生きていた証拠」をオレは探すだろう。
何も残さずに、残そうともしていないうちに突然人生を終えるのは絶対に嫌なのだ。

でも、だからといって。
目の前に自分の死が用意された状況で、オレは何をするのだろうか。
その時までに何を準備しなければいけないのだろうか。
まだまだ悩み続けなければいけない。

続く...


今日の一言

M、元気でな。

バーラバラ
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