前回書いた単身赴任というのもその一つであるが。 退職後の自分の行動について、色んな選択肢を考えている。 今まで考えてた選択肢とはこのようなものだ。 ・東京でしばらく仕事をしてみる ・現在役員をしているI社に正式入社 ・フリーとなって個人で仕事を請け負う 最近、ここに新たな選択肢が追加された。 これだ。 ・海外で生活する そんな何年も滞在するような長期ではない。 しかし、どうせ行くのであれば向こうで仕事を見つけてしばらく生活してみたい。 目的はいくつかある。 まず、自分が何をしたいか、どう生きていきたいのか、視野を広げた上で見つめなおしたい。 そして、せっかく少し勉強した英語を、喋れるくらいにはなっておきたい。 最後に。 パチンコ屋のないところに行きたい。 これは切実である。 オレは時間と金が少しでも余るとつい魔が差してしまう。 そして一度行こうと決めると色んな用事よりも優先してパチスロを打ってしまうのだ。 気がついたときには金や時間を失い、処理しきれなくなった用事が残っている。 一体どうすればいいのか? 心を強く持って、もう行かないという決意をするのか。 いや、違うな。 そのような決意は一番重要な行為に見えて、実は一番安易な解決策なのだ。 そんなことは誰でも思いつく。 そして誰でもやっている。 オレも何度もやってきた。 それでも辞められないだらしない人間だから、困っているのだ。 人間の決意なんて、そもそもあいまいなものである。 人はみな、それぞれ別々の価値観と、それにあわせた優先順位を持っている。 その優先順位の高いものに対しては強い決意ができるものだ。 しかし、優先順位が低いものに関していくら決意しても簡単に崩れてしまう。 たとえばオレは今までタバコを吸ったことが全くない。 ただの一本もだ。 それは小さい頃にヘビースモーカーの親父を見て、自分で決意した。 そして親父に宣言したのだ。 オレは一生タバコを吸わない、と。 親父は「ワシも昔はそう言ってたよ」と笑っていた。 その態度がオレの感性、価値観にとって許せないものだったのだ。 オレはそのとき、本当に意地でも一生タバコを吸わないと決意をしたのだ。 その後、オレの決意は二度と翻されることがなかった。 学生時代、みんなでタバコを吸うたまり場で、一緒に喋っていても。 友達が一本吸ってみろ、と無理に口にタバコを突っ込んできても。 頑なにそれを拒否し続けて今に至るのだ。 こうやって考えるとオレは別に意思が弱いわけではない。 ただ、決意に優先順位があるだけなのだ。 女性のダイエットが往々にして失敗するのも、これじゃないかと思う。 本当に痩せたくて、そのためなら相当のものを犠牲にできる、というレベルの決意ではないだけだ。 「あと1Kg太ったら、あなた死にますよ。」 こんなことを医者に宣言されたとしたら、誰だってダイエットに成功すると思うのだ。 命と食欲を天秤にかけたら、どんな人でも命を優先するだろうから。 話をパチスロに戻そう。 オレは結局、そこまでしてパチスロを辞めたいとは思っていないのだ。 別に借金して行ってるわけではない。 トータルの収支もそれほど負けていないはずだ。 パチスロに行くことで何が一番問題なのか。 それは時間を失うということだ。 トータルの収支がチャラだと仮定すれば、使った時間だけを単に失ったことになる。 その時間を、例えば開発とか、起業のための活動とか、もっと有効な使い方をしておけば。 オレはもっと納得のいく人生を送れるかもしれない。 そういう思いがあって、いつも後悔するのだ。 ただ、ここにさっき書いた価値観、優先順位が絡む。 矛盾しているようだが、オレは自分の人生を投げやりに考えてしまう一面も持っている。 自分の人生ごとき、そんな大したものにならなくてもいい。 ただ単に、死ぬまで生きるだけだ、と。 スーパープラス思考なオレとは全く正反対の一面だが、これもオレの一要素なのだ。 こういう二面性を持っているオレにとって。 パチスロはただ行くのをガマンすればいい、という決意だけで抑えられるものではない。 別に行ってもいいじゃないか、と思っている自分もいるのだ。 心の底から必要性を感じていない決意など、簡単に崩れてしまうものだ。 だから、海外なのだ。 パチンコ屋がなければ行きたくても行けない。 環境を変えることで自分をコントロールするということだ。 気持ちだけで自分をコントロールできるほどオレは、いや人間は強くないと思う。 こうでありたい、と思う自分に対して、そうならざるを得ないように追い詰める。 そういう選択肢も必要だと思うのだ。 続く... 今日の一言 年内にはどうするか決めようかな |