仕事で大失敗した。 失敗のすべての責任がオレにあるとは言えない。 しかし、冷静に考えて誰の責任が一番重いかといえば、やはりオレだろう。 初歩的なミス。 オレのいい加減さがそのまま露呈したような失敗だ。 しかも、責任の所在がイマイチはっきりしないもんだから謝るタイミングを逃した。 ああ、さっさと謝ってしまえばよかった。 「僕の責任です。すみませんでした。」 この一言が言えたら今はさぞ楽だったことだろう。 それができなかったからこそ、なんとなく嫌な雰囲気が社内に残ってしまった。 そしてオレは休日にまでそれを引っ張ってもやもやとしている。 これを書いている今も、嫌な気持ちを思い出してしまった。 ズキ 不意にお腹が痛くなる。 これは先日発症した帯状疱疹の痛みだ。 もう治りかけているが、嫌なことを考えるとその度に痛みが走る。 やはり体というものは精神と密接に結びついているんだろう。 しかも、オレは自分自身が非常にナイーブな体だということに気がついた。 オレは自分が失敗とか困難とか挫折に強い人間だと思っていた。 今までも多くの失敗をした。 その度にその困難を、乗り越えるべき壁として喜んで受け入れてきたのだ。 だが、今回は違う。 なぜだ? なぜこんなにも苦しいんだ? そしてオレはある回答にたどり着いた。 どうやら、オレは常に計算しながら生きてきたようだ。 例えばオレは人に笑われるのが大好きである。 馬鹿にされて、指さされて笑われるのが好きだ。 でも心の中で、オレは「笑わせている」という意識でいたのだ。 馬鹿にされるような、喜んでもらえるような行動を好んでする。 だから自分の予想外のことで笑われた時は耳が真っ赤になるほど恥ずかしい。 それは「笑わせた」のではなく本当に「笑われた」からである。 このこと自体は知っていたのだ。 それはこのプロ道でも書いたことがあるとおり。 オレはいつも何か起きることを期待して行動してきた。 それが笑いに繋がればうれしいという計算が背後にあったのだ。 だが、ことは「笑い」だけに収まっていなかったようである。 オレは仕事において、どんな失敗も恐れない態度で臨んできた。 人の失敗を自ら進んでかぶることも何度かあった。 その結果、自分の評価が下がることなど全く恐れずにやってきたのだ。 だが、そこにもやはり計算があったようだ。 オレは失敗の後の謝罪、責任の取り方、それによる信頼回復すらも計算に入れていたのだ。 それらの後処理をきっちりすることで、失敗前よりも評価が上がることはよくある。 そこまで計算に入れていたから、オレは仕事上の失敗などむしろ歓迎していたのだ。 そして今回、その計算が大きく狂ったのは謝罪のタイミングを逃したこと。 現状のオレは、責任逃れをしている域を出ない。 出来る限り早く、謝罪と後処理をしたいと思っているが休日に入ってしまった。 だからこの週末はこんなにも苦しいんだ。 そしてこういう計算外の失敗に、オレの体は敏感に反応するのだ。 腹が痛くなったり、歯茎がはれたりするのだ。 なんだオレ、全然強くないじゃん。 てんで弱いじゃないか。 全くもって、行く末心配な発見である。 だが、こんな自分の弱さを知らないままでいることの方がずっと怖い。 今、発見できてよかったとしておこう。 続く... 今日の一言 あぁ、早く謝って楽になりたい・・・ |