先日、とある勉強会に参加した。 講師は、けっこう大きな企業で社長補佐みたいなことをしていたらしい。 今は定年退職して、自分が得てきたノウハウを伝えることをしている。 もう生活していくのに十分なお金はあるようで、非常に安価で講師をしてくれている。 講義の内容は社長や営業マンとして、どのような人間になればよいか。 巷でよくある成功哲学なんかと似通っている。 オレはこのようなセミナーは結構受けた経験が多い。 そのような本もある程度読んだことがある。 だから講義内容に関しては、まあまあ面白いな、という程度だった。 言ってることは色んな本と同じ、それは全ての成功哲学がそうだと思う。 ただ一つ。 オレが気付いたことがある。 それはこの世にいる2種類の人間のタイプだ。 本を読む人間と読まない人間 この講師のおじさんはすごかった。 もう何十年も色んな本を読みつくしている。 いや、それ自体はそんなに驚くべきことではなく、結構そういう人はいる。 ただ、このおじさんはその全ての本に対して、内容を1枚のレポートにまとめているのだ。 その本から得られたエッセンスを自分なりに箇条書きにして、PCで管理している。 そんなことをもう何十年も続けているのだ。 その情報量を考えると、今では膨大なデータベースになっているだろう。 とても60歳をこえたおじさんとは思えない。 そして、この人の口から語られる成功哲学は一味違う。 単に本に書いていることを受け売りで喋っているのではない。 ちゃんと本に書いている内容を自分なりに消化して、自分の経験を上乗せして語っている。 成功哲学をきっちりと自分の物として消化しているのだ。 成功哲学本に書いている語録を受け売りでそのまま喋る奴はたくさんいる。 オレもそうはなりたくないが、そうなっている部分もある。 なぜかというと、本に書いていることを実践できていないからだ。 例えば野球のバッティングコーチ。 この人たちはバッティングフォームの理想形を知っている。 だからバッターに対してフォーム修正の助言ができるのだ。 じゃあ、バッティングコーチが試合に出てヒットが打てるか? 打てないだろう。 それは頭の中にある、理想形どおりに体が動かないからだ。 試合に出てヒットを打っている選手と何が違うか。 それはやはり日々の素振りであったり、バッティング練習だ。 教えられた通りに体が動くように、日々の練習や実践を繰り返しているのだ。 成功哲学もこれと同じ。 「失敗は成功の母」という言葉は確かにいい言葉だ。 真実をついていると思う。 だけど、多くの人がこの言葉を引用するとき。 だから失敗しても大丈夫、という慰め程度にしか考えていない気がする。 やっぱり失敗はつらいものだ。 だけど、それにへこたれることなく、その経験を次に生かすべく最善を尽くし。 そして、その後に小さくても成功を経験した人。 こういう人の口から出てきたときに、この言葉は初めて輝きを増すと思う。 そういう意味で、このおじさんは成功哲学をしっかりと身に着けていた。 それはインプットとアウトプットを継続してきたからだ。 本を読むという行為はインプットでしかない。 そして、それをレポートにまとめ、また人に対して話すということがアウトプットになる。 知らず知らずのうちに、自分の本能レベルで成功哲学どおりの行動ができるようになっているのだろう。 この講師は最後にこのようなことを言った。 「今日習ったことを身につけるには、この内容を誰かに話してください。」 「私もここで皆さんに教えることで、身についていくのですから。」 まさにアウトプットのことだと思った。 よし、これからオレもたくさん本読むぞ。 そして、それを消化、吸収し、実践するための方法論をこれから考えよう。 続く... 今日の一言 字の多い本、苦手なんだけど・・・ |