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酔っぱライブ


また思い出さねばならぬのか。
オレは今まで数々の失敗、バカなことを繰り返して生きてきた。
それらの経験は確かにオレの足を引っ張ってきたものばかりだ。
しかし、その思い出は今、オレの格好の話のネタとなっている。
小出しにすれば知り合って1年くらい経ってもまだ話し切れなかったりするほどだ。

だが、オレはこの「酔っライブ」だけはあまり話してこなかった。
ホントにオレが凹んだ思い出トップ3に悠々ランクインするくらいショックだったからだ。
はっきり言って思い出したくない。
しかし進行状況のネタもあまりない今日、これを書こうと思う。

オレは当時24、5歳だったろうか。
バイト先のスナックで自分がバンドマンで今度ライブをやるという話をしたときのことだ。
その店のママ、ホステスの女の子、お客さんとで計5、6人見に来てくれるというではないか。
さらに友人や嫁とその姉妹も駆けつけ総勢10数人の知り合いがくることに。
当日はビデオ撮影もしてくれるらしい。
なんてありがたいことだ。
そう思うと同時にオレはいい加減なものは見せられない、と極度の緊張に陥った。

どうしようか、なんか変わったことやらなきゃ。
ふ、普通のライブじゃダメだ。
なんかこう、、ガツン!!とインパクト与えてやる。
どうしよう、、どうしよう。。。。

数日悩みぬいたオレは結局安易な結論しか導き出せなかった。

「出演前に浴びるほど酒飲んでやる。」

ホントにオレというやつは・・・。

ライブ当日、この日のために用意してきたブランデーボトルの栓をあけた。
出演は1時間後だ。
少しヘベレケになってるくらいが面白いだろう。
オレはそのままブランデーをロックで飲み始める。

・・・・・。

ダメだ、全然酔っ払わない。
緊張のあまり全然酒が回らないのだ。
次々に飲む。
でも酔わない。
徐々にあせってきたオレ。
さらにペースを上げて飲む。
ボトルはもう半分くらいだ。

そんな感じでボトルを3分の2ほどあけたところでオレ達の出番が来た。
くそ、ぜんぜん酔っ払えてない。
こんなので大丈夫か?
はじけられるのか?オレ。

ところが事態はオレの予想と180度違っていた。

「よし、じゃいこうか」

そう言って立ち上がった後の記憶がない

断片的なライブの記憶。
おぼろげな映像。
終了後メンバーに殴り倒され、蹴られた痛み。
帰りのタクシーで吐きそうになって途中停車してもらった記憶。

とにかくオレが我に返ったとき、オレは自分のベッドで靴を履いたまま寝ていた。
部屋中にメンバーが残していった「禁酒」という張り紙と共に。

やってしまった・・・・。

死んだほうがマシというのはあのときのような気分だろう。
机の上には一本のビデオ。

「これ見て反省しろ。」

と書いてある。
そのビデオを見てオレはさらに死にたくなった。

歌詞など一切ない、ほとんどアドリブの音程バラバラな歌
たまにステージからいなくなること数回。
フラフラになってもたれかかり、アンプを倒すこと2回。
ステージから落ちて頭を強打すること3回ほど。

ガッ!

頭を打った音をマイクが拾い、ホール中にその音が響き渡る。
その度知り合いはオレが死んだんじゃないかと心配したらしい。
すると数秒後、何事もなかったかのようにステージに這い上がるオレ。

まさにゾンビのようだった。

この映像は後々メンバー達の格好の笑いの種となるのだが当時は皆真剣に落ち込んだ。
もちろん誰よりも落ち込んだのはオレだろう。
いや、違うかもしれない。

「もう、終わりだね。」

ライブを見ていた嫁が次の日、オレにかけた一言だ。
一番悲しかったのは嫁かもしれない。
自分の夫が仕事もせずにのめり込んでいるバンド活動。
その実態がこんなものだとは・・・。

すまない。
オレは世界中の人に謝りたくなったが、何も出来ないままだった。
とにかくベッドの隅で壁に張り付くように寝ていた。
そしてずっと何かブツブツと独り言を言っていたらしい。

次の日、ライブハウス関係者に謝罪し、壊した機材の修理費を渡した。
見に来てくれた人全てに電話をかけて謝った。

結局その後もオレはこの苦い思い出を乗り越えてメンバーとバンド活動を続けたのだ。
いや、それにしてもこれを書きながらも冷や汗が出てくる。
あのときのこの世が終わるような感覚が蘇る。

この世の終わりにて。
地獄にいた仏、当時の唯一の救い。
それはたった数人であった。
数人だが酔っぱライブを心から楽しみ、ウヒャウヒャと笑い飛ばしていた悪友がいたことだろう。




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